• 日. 4月 21st, 2024

そうなんだよ。

また書くのをやめてしまうと言うか、

続かないよね。

にしても、鬱との戦いと言うか、

鬱ライフって言うと、めっちゃ聞こえはネガティブに聞こえるかもだけど、

鬱との付き合い方や、

あ。今日って鬱日だ。

って思えるようになってきた。

すなわち、鬱のアイデンティティを認めたようなもんだ。

鬱な俺がいる事。

鬱の俺の存在を認めてやること。

鬱と闘うんじゃなくて、

封じ込めようとするのではなくて、

鬱の俺、どしたの?

また来ちゃったの?

前に出たいの?

何したいの?

って向き合うようになってから、

支配される時間は短くなってきたように思う。

もちろんそんな簡単に制御できるわけじゃないけど、

少しずつコントロール下に置けているようにも感じている。

それと同時に、躁状態の俺の制御も必要な事に気がついた。

躁状態の俺はなかなかに爆発力を持っている。

そもそも論、その爆発的な瞬間的な力を用いて、

俺はさまざまな事をやってきた。

だけど、字の如く、

それは一時的な力でしかない。

だから、如何に瞬発力を持続させるか。

もしくは耐久力に変換するか。

その辺が課題ではないか。

と思うようになった。

短距離ランナー向き、

長距離ランナー向きと、

向き不向きはあるけど、

人生はそこそこに長い。

それを瞬発力だけで過ごすのも良いかもしれない。

だけど、その瞬発力を失ったら、

俺には何も残らない。

何か残したい。

少しでも。

そう思ってしまう。

だから、今は鬱のコントロールと躁のコントロールのバランスを俺自身に導ければと思っている。

まあそんな感じだ。

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