そうなんだよ。
また書くのをやめてしまうと言うか、
続かないよね。
にしても、鬱との戦いと言うか、
鬱ライフって言うと、めっちゃ聞こえはネガティブに聞こえるかもだけど、
鬱との付き合い方や、
あ。今日って鬱日だ。
って思えるようになってきた。
すなわち、鬱のアイデンティティを認めたようなもんだ。
鬱な俺がいる事。
鬱の俺の存在を認めてやること。
鬱と闘うんじゃなくて、
封じ込めようとするのではなくて、
鬱の俺、どしたの?
また来ちゃったの?
前に出たいの?
何したいの?
って向き合うようになってから、
支配される時間は短くなってきたように思う。
もちろんそんな簡単に制御できるわけじゃないけど、
少しずつコントロール下に置けているようにも感じている。
それと同時に、躁状態の俺の制御も必要な事に気がついた。
躁状態の俺はなかなかに爆発力を持っている。
そもそも論、その爆発的な瞬間的な力を用いて、
俺はさまざまな事をやってきた。
だけど、字の如く、
それは一時的な力でしかない。
だから、如何に瞬発力を持続させるか。
もしくは耐久力に変換するか。
その辺が課題ではないか。
と思うようになった。
短距離ランナー向き、
長距離ランナー向きと、
向き不向きはあるけど、
人生はそこそこに長い。
それを瞬発力だけで過ごすのも良いかもしれない。
だけど、その瞬発力を失ったら、
俺には何も残らない。
何か残したい。
少しでも。
そう思ってしまう。
だから、今は鬱のコントロールと躁のコントロールのバランスを俺自身に導ければと思っている。
まあそんな感じだ。