• 月. 12月 2nd, 2024
フェリーさんふらわあ客室

7月
毎週さんふらわあに乗って、
大阪から鹿児島に移動している。

船内での行動はある程度決まっていて、
これといって何かするわけでも無い。
そんな中、夜中にふと目覚めた。
なんとなくデッキへ出た。
そして柵に近づき海面を覗き込む。

これが怖い。
とてつもなく怖い。
夜の海はこんなに怖かっただろうか。
覚えていない。
怖すぎて笑ってしまった。
ある意味でめっちゃ楽しい気持ちになった。
人は楽しいから笑うのではなく、
笑うから楽しくなるのは本当なのだろう。

美味いものを食べた時に、
何も言葉が出ないような。
嬉しいはずなのに、あ。あ。
ってなってしまうような。
辛いのにもっとと求めてしまうような。

とにかくそんなような、
状況とは相反する反応をしていた。
そして恐怖を追体験するために、
戻っては覗き込んでもみた。
そしてそれは、
この恐怖に簡単には慣れないのだな。
と言う確認作業にもなった。

何が怖いのか。
デッキの高さだろうか。
明かりの届かない漆黒の闇だろうか。
流れ消える波だろうか。

恐怖とはすなわち死の連想だ。
希死念慮が薄れた故の恐怖なのかとも思った。
それならば生き物として正しい感覚だと思う。
それもあって確認した。

俺はどうやら怖いらしい。
死を遠ざけたいらしい。
少なくとも、
この闇の海に放り出されるのは避けたいと考えているらしい。
ここに落ちた場合。
まず漆黒の闇の中を漂う事になる。
過ぎ去る船を見て絶望するだろう。
そして行き交う船のスクリューに巻き込まれるかもしれないし、
単に力尽きて溺れるかもしれない。
肉食の魚に齧られて絶命するかもしれない。
それは想像できる範囲でも恐ろしく、
想像の範囲を超えて、
未知の巨大な海洋生物に襲われるかもしれない。
そんな想像をも勝手に膨らませてくれる。

何度見ても怖い。
どんな想像でもできる。
恐ろしい。

死を意識する事は生の確認。
まさにこれである。
怖い怖い。
ゾクゾクする。

同じような感覚を知っているな。
そう思って思い出したのはナイトハイクだ。
闇に溶ける感覚。
自分の手先すら見えない闇。
何かいる気配だけがする闇。
広い場所で一人きりと言う状況。
近いものを感じた。

俺はニヤニヤしていた。

とは言え、第三者的に見れば、
ひとり、夜中に船のデッキでニヤニヤしてるおっさん。
ひとり、夜中の山の中でニヤニヤしてるおっさん。
こっちの方がよほど怖い。
俺なら関わりたくない。

まあそんなわけで、
さんふらわあに乗船の際は、
夜中のデッキにて海を覗き込む事をお勧めする。
そこには言葉に出来ない恐怖があるかもしれないし、
ニヤニヤしてるおっさんが居るかもしれない。

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