7月
毎週さんふらわあに乗って、
大阪から鹿児島に移動している。
船内での行動はある程度決まっていて、
これといって何かするわけでも無い。
そんな中、夜中にふと目覚めた。
なんとなくデッキへ出た。
そして柵に近づき海面を覗き込む。
これが怖い。
とてつもなく怖い。
夜の海はこんなに怖かっただろうか。
覚えていない。
怖すぎて笑ってしまった。
ある意味でめっちゃ楽しい気持ちになった。
人は楽しいから笑うのではなく、
笑うから楽しくなるのは本当なのだろう。
美味いものを食べた時に、
何も言葉が出ないような。
嬉しいはずなのに、あ。あ。
ってなってしまうような。
辛いのにもっとと求めてしまうような。
とにかくそんなような、
状況とは相反する反応をしていた。
そして恐怖を追体験するために、
戻っては覗き込んでもみた。
そしてそれは、
この恐怖に簡単には慣れないのだな。
と言う確認作業にもなった。
何が怖いのか。
デッキの高さだろうか。
明かりの届かない漆黒の闇だろうか。
流れ消える波だろうか。
恐怖とはすなわち死の連想だ。
希死念慮が薄れた故の恐怖なのかとも思った。
それならば生き物として正しい感覚だと思う。
それもあって確認した。
俺はどうやら怖いらしい。
死を遠ざけたいらしい。
少なくとも、
この闇の海に放り出されるのは避けたいと考えているらしい。
ここに落ちた場合。
まず漆黒の闇の中を漂う事になる。
過ぎ去る船を見て絶望するだろう。
そして行き交う船のスクリューに巻き込まれるかもしれないし、
単に力尽きて溺れるかもしれない。
肉食の魚に齧られて絶命するかもしれない。
それは想像できる範囲でも恐ろしく、
想像の範囲を超えて、
未知の巨大な海洋生物に襲われるかもしれない。
そんな想像をも勝手に膨らませてくれる。
何度見ても怖い。
どんな想像でもできる。
恐ろしい。
死を意識する事は生の確認。
まさにこれである。
怖い怖い。
ゾクゾクする。
同じような感覚を知っているな。
そう思って思い出したのはナイトハイクだ。
闇に溶ける感覚。
自分の手先すら見えない闇。
何かいる気配だけがする闇。
広い場所で一人きりと言う状況。
近いものを感じた。
俺はニヤニヤしていた。
とは言え、第三者的に見れば、
ひとり、夜中に船のデッキでニヤニヤしてるおっさん。
ひとり、夜中の山の中でニヤニヤしてるおっさん。
こっちの方がよほど怖い。
俺なら関わりたくない。
まあそんなわけで、
さんふらわあに乗船の際は、
夜中のデッキにて海を覗き込む事をお勧めする。
そこには言葉に出来ない恐怖があるかもしれないし、
ニヤニヤしてるおっさんが居るかもしれない。