伊集院光はこんな事を言った。
理解したと思った瞬間に偏見が生まれ
わからないと投げ出した瞬間に分断が生まれる。
と。
じゃあどうすんだよ。ね。
つまり理解しようとし続ける事が大事だよねと。
俺は元々、他人を理解するなんて不可能と思っている側の人間。
そして、自分自身の事すら理解できるとも思ってない人間。
だけど、これを聞いて、
理解すると言う姿勢は続けなきゃなんだな。
と再認識した。
理解を泉に例えるならば、
その泉にも流動性が無いとダメで、
理解した。と思考を止めた瞬間。
すなわち水を流し込むのを止めてしまうと、
その泉もやがて淀んで、腐っちまう。
って事なんだろうな。と思った。
ある側面では理解できる。
ではもう一方は?
存在するのは本当に反対だけ?
人も物事も多面的だ。
全てを把握するなんて無理な話だ。
だけど、相手や物事、つまり自分の外にあるものを多面的にとらえる中で、
同時に自分の事も理解できるようになるのではないかな。
なんても思ったのだ。
他者理解をするなら自分を。
自分を理解して他人を。
社会がどう進むのかは歴史から。
自分がどこに行くのか。行きたいのかを知るなら、
過去からの大きな流れを知った上で、自分の流れも知るべきだろうと。
そんな事を思う。思った。
今日はそんな話だ。