• 土. 7月 13th, 2024

今日のテーマはこれだ。

本当の自分とやらは存在するのか問題。

先日の〇〇脳の事を考えている時に、

それはつまりペルソナとも言い換えれると思ったのだが、

各ペルソナは自分ではないのだろうか。

何かをしている時、あるいはとある環境下で、

その時に対応する自分が居るとする。

そいつはその場の最適と思われる思考をし行動をする。

しかし、俺ならこうしないなあ。

と言う選択もする。とする。

さて、他人から見た俺は最適と思われる行動をとった。

俺自身はそうじゃないなあと思った。

思考と行動。主観と客観。

ズレがあるわけだが、

どちらが俺なのだろうか。

正解はわかっている。

どちらも俺だ。

正解はわかっているが、

出来るだけややこしく考えたいのも俺だ。

そう。これも俺だ。

俺が起点となり、思考し行動し結果がある。

それは全部で俺だ。

行動と思考がずれていようが、

本当は違う選択をしたいと思っても、

俺は俺だ。

なのになぜ、

本当の俺は。とか、本当の俺なら。とか、

本当の俺を。とか、

他にも俺が居るかのように思考するのだろうか。

それはつまり、思考と行動のようにセットとして考えるからで、

理想と現実のようなセットも存在するからで、

そのズレの説明、もしくは言い訳として、

本当の自分といった言葉で、

そのズレから自分を守っているのかもしれない。

さて、思考と行動、はたまた言動、

どれをもってして自分とするか。

自分自身は観測者として、

上記3方向から観測出来るが、

他者からは行動、言動だけで観測する事になり、

思考は、その2つから推測する事しかできない。

俺は俺を観測しているが、

観測者の数だけで言えば、

他者の方が多い。

多くの観測者が居る方が、

正しい観測が行われる可能性は高い。

だとすると、

俺が観測する俺より、

他者が観測する俺の方が正しいと言える。

その場合、

自分が思う本当の自分より、

他者の思う本当の俺の方が、

より本当の俺に近い事になる。

しかし、本当の俺。

などと言う俺を知りたがるのは俺だけと言って良いだろう。

こうなってくると、

やっぱりいらなくね?本当の俺とやら。

となるのが俺の思考だ。

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