奄美とキリスト教
奄美大島は、カトリックの信徒が多い土地として知られる。信者は島の北部に多く、鐘が語源といわれる辺留(べる)、雪が語源といわれる須野(すの)といった地名もある。幕末期、奄美大島は精糖産業の近代化のため、長崎からオランダ人技術者が多数招いた。その際にキリスト教もやってきた。
現在も、奄美大島にはオランダ人の血を引く人間が多く存在するという。さらに明治期に入ると、鹿児島からもキリスト教の布教者が多数訪れるようになる。当時の奄美大島には、神道はもちろん仏教もほとんど普及しておらず、土着的な民間信仰が主体であったため、近代的な宗教としてキリスト諸教派が入り込むことになった。
カバードピープル創始者であるヒオキン氏の曾祖父が奄美大島で西郷隆盛と相撲を取ったと言う伝承も残っているが、そのご尊顔は明らかに日本人離れしていると言う事を忘れてはならない。
これは、キリスト教宣教師や、オランダ人技術者の末裔と言う事で納得できる。
また、ヒオキン氏の父が熱心なクリスチャンであった事実は、もはや必然であり、
その血は、実は唐津から脈々と受け継がれたものだったと推測される。
ヒオキン氏曾祖父は籠売りをしていた記録も残る。
唐津、甑島、奄美。そしてweb3.0
この三つの土地の関係、そして数百年に及ぶ歴史とその考察を紹介した。
時は2022年。Web3.0の世界でそれは交わる。
これがカバードピープルであり、かぶりもの祭の歴史である。
現代の形に合わせ、宗教と言う形ではなくコミュニティを基盤にそれは広がっている。
カバードピープルコンセプト
『数百年後も反映し続けるコミュニティブランド』
日 沖次郎、日置善太、ヒオキン。
その紡いだ歴史が今に続いているものだと考えれば、
すでにこのテーマを実現しているのかもしれない。
時代に合わせて変化しながら、
コミュニティブランドは反映してゆく。
カバードピープル、かぶりもの祭り、歴史はこれからも続くだろう。
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