薩摩・甑島
1549年 フランシスコ・ザビエル(1506~1552)は1547年にマラッカで出会ったヤジロウと共に日本に 渡る。鹿児島に上陸した一行は、平戸や山口で伝道していた。
ザビエルの通訳者だったヤジロウ(1511~1550)の墓があるのが甑島下甑町片野浦である。
ヤジロウの墓は日置市伊集院町土橋にもあるとされるが諸説ある。
1602年 ドミニコ会(カトリック)の宣教師が甑島で宣教を開始する。
長崎など、同時期にはアウグスティノ会が宣教を開始している。
ここでも甑島の下甑島片野浦を中心に再度キリシタン信仰が広まり、手打地区まで広まる。
全国的な動き
1609年 迫害が起こる 薩摩藩から追放
1612(1613)年 江戸幕府によって禁教令(キリスト教禁制)が公布:狭義の意味
(江戸幕府による最初の公式なキリスト教禁止)
1614年 徳川家康の禁教令
1616年 幕府(秀忠)による最初の鎖国令【二港制限令】
厳密には鎖国令ではない(長崎・平戸)